- 野村證券にはリフレッシュ休暇はあるのかな?
- 野村證券のリフレッシュ休暇の取得率はどうなんだろう?
そんなことを知りたいと思った人がこの記事にたどり着いたんではないでしょうかね。
それらの疑問に僕の経験を持ってお答えできればと思います。
どうも、カルロス(@crls1031)です。
僕は2011年に野村證券に新卒で入社し、約1年で退社しました。
理由はただただ辛かったからです。
そんな僕が野村證券のリフレッシュ休暇のことについて書いてみます。
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もくじ
リフレッシュ休暇とは
そもそもリフレッシュ休暇とはどういう制度なのでしょうか?
詳しくは有給休暇について書いた記事に載せてます。
要するに、
リフレッシュ休暇とは、毎日忙しい従業員向けて文字通り“リフレッシュ”してもらうために、企業が導入している休暇制度のことです。企業が制度を設けている場合、従業員は有給休暇とは別に、勤続年数に応じて数日間の休暇を取得することができます。従業員はもちろん、企業にもメリットがあるため、多くの企業がリフレッシュ休暇の導入を前向きに検討しています。
ということらしいです。
野村證券ではしっかり採用されていて、半年ごとに1週間のリフレッシュ休暇が用意されていました。
引用元の記事には平成25年度の取得率だと全体で11.1%、従業員が1,000名以上の企業だと40%だと書かれていました。
野村證券も従業員がゆうに1,000名を超える大企業ですので、この傾向通りにリフレッシュ休暇が実施されていました。
野村證券のリフレッシュ休暇の取得状況
2011年の野村證券ではしっかりとリフレッシュ休暇の取得が実施されていました。
僕自身も社会人1年目で右も左もわかっていませんでしたが、スムーズに取得できました。
忙しい時期に指定した先輩は「こんな忙しい時に取りやがって」と上司に嫌味を言われるなんて現場もありましたね。
また「来週から休むんだからちゃんとやれよ!」と怒られる理由にもなっていましたね。
ただ支店によっては取得状況が異なるようで、違う支店に勤める友人は突発的な出来事によって時期をずらされたと言っていました。
そのため、計画していた旅行は全て台無しとなり、費用だけがかかる結果になっていました。
上記のような事例は組織である以上しょうがないことなのかもしれませんが、僕は嫌です。
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野村證券でリフレッシュ休暇を取得する際のルール
野村證券はとっても旧来な組織体制なので、リフレッシュ休暇を取得する際に守らなければならないルールがありました。
1. みんなに挨拶をする
組織で働く人間としては当たり前なのかもしれませんが、リフレッシュ休暇で1週間空ける前にはみんなに挨拶をしなければなりません。
僕の支店では人数も多かったので、パソコン画面にポップアップで全員に表示されるような方法で報告していました。
リフレッシュ休暇を取得すること自体はなんら問題はないのでしょう。
でも挨拶文には「申し訳ありませんが」などと言った枕詞を使わなければならなかったことに多少違和感を感じましたね。
2. 最適なお土産を全員分用意する
これが非常に面倒でしたが「是認分のお土産」を用しなければなりませんでした。
しかもそれが
- 美味しく
- ちょうどいいサイズ感で
- ちょうどいい値段感
のものが求められます。
下手なものを渡すと、それに対しても上司になんらか言われますからね。
お土産って「気持ちがあればする」でいいと思うんですが、野村ではマストでした。
リフレッシュ休暇中もお土産のことを考えて気が休まりませんよね。
こういった旧来の体制については飲み会事情を見ていただければわかるとおもいます。
実録:野村證券のリフレッシュ休暇を取得した後に、僕は涙が止まらなかった
こちらが僕の体験談です。
僕は大阪の梅田支店に勤めており、実家は神奈川なのでリフレッシュ休暇を迎え実家に帰りました。
普段大変な環境で働いていたので、実家に帰ると両親の愛に触れとても癒されました、
母親の美味しいご飯、優しい父親。
ここには常に怒るような上司はいません。
でも1週間を終える「あの恐怖の空間に帰らなければならない」ことに常に気を張っていました。
リフレッシュ休暇の1週間はあっという間に終わり、新幹線で大阪に帰ることになりました。
親には僕が悲惨な状況で働いていることを全て話していたので心配してくれました。
家を出る直前、荷物を持ち、玄関に立つと僕は突然涙が溢れ出してきました。
「なんであんなに苦しいところに帰らなければならないのか」
突然泣き出す僕に両親はとても驚いていたと思います。
僕もせめて両親の前ではと思っていましたが、どうしようもなく涙が溢れました。
新横浜駅から新幹線に乗っても涙は溢れました。
「僕は苦しむために生きなければならないのか」
「こんなに苦しいなんて思ってなかった」
そんなことがずっと頭の中で反芻されていました。
でも翌日からは仕事が始まってしまうので、大阪に着く頃には涙をリセットできていました。
今考えると、もうこの時には少し心は壊れていたのだと思います。
悲惨な状況についてはここに詳しく書きました。
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まとめ:辛い状況なら逃げてもいい
こんな状況だったので、僕は1年とちょっとで野村證券を後にしました。
苦しんでいる人にこのブログが届けば嬉しいと思います。
今わかることは、野村をやめた¥ところで人生は終わらない、ということです。
みんなが羨む大企業を後にすることは人生の負け組なのかもしれません。
僕も退社後はとてもそのことをひきづっていたと思います。
でも今はとても楽しく人生を過ごせています。
生き方は様々ありますし、野村だけでも日本だけでもありません。
そんな世界を知るきっかけになれば僕は嬉しく思いますね。
大企業やブラック企業で苦しんでいる人の支えになったりしたらとても嬉しく思います。
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